■完璧な時代12

 

 「初めまして、お噂はかねがね」
夏乃を取り巻いていた男達に、一瞬の沈黙が訪れた。それに気づいた正行が、すかさず自己紹介をした。
「正行くんと、ミサオちゃんでしょ? あなた方のことも、良く伺ってるわ。高坂です。今日は、健太くんの彼女のピンチ・ヒッターなの。よろしくね」
「ボンジュール、ボンジュール。アンシャンテ!」
折れたボードを持ったまま、修が夏乃の前で芝居っ気たっぷりに両手を広げた。
(なんだよ、修のヤツ! ここは、フランスじゃないんだぜ! 夏乃さんは僕が誘ったのに、まさか、本気で?)
仏文の学生は、本気だった。修は、《チューブス バリ オリジナル・サーフ・カフェ&レストラン》と書かれたTシャツの胸に、夏乃を抱きしめた。
(夏乃さんには、僕だって、・・・)
修の唇が、夏乃の顔に近づいた。
(このヤロウ! お前には、そんな権利ないぞ)
修の唇は夏乃の唇にこそ重ならなかったが、彼女の色白の頬に、右、左と、二度触れた。
パリで幼い時期を過ごした夏乃には、これは場違いなことには当たらないのか、修の腕の中でキスを受けとめながら、黒いドレスの背筋は堂々と伸びていた。爽やかな後ろ姿だった。
「しようがないな、修は、・・・。高坂さん、勘弁してやって下さい。こいつ、バリでフランス人の女性とずっと一緒だったものだから」
「準ちゃん、まずいよ。修くんの彼女の前だよ」
と美樹が小声で注意した。
「心配ない、美樹ちゃん。まったく心配ない」
正行が言った。
「修ったらさ、マリブでイイ波に乗ったもんだから、《ハイ》になっちゃってさ。もう、帰りの車の中で、波の話ばっかり! バリのウルワツやチャングーもそうだけど、フランス人の彼女から聞いたゲタリーやオセゴーの話まで延々と。しまいには、ビアリッツのマリー・アンジュに会いに行って、スペインのムンダカまでサーフ・トリップする約束まで話すんだもの。全部、バレバレ」
共立の娘は、どう反応して良いか分からず、ただ微笑んでいた。

 









 

 「夏乃さん、いいもの作ってやるよ」
修がジーンズのポケットから草の束を取り出した。
「すみません、ゴードンのジン、ボトルでもらえますか? それから、氷と砂糖を」
「砂糖をですか?」
頼まれたウエイトレスが、いぶかしげに聞き返した。
「ええ。砂糖。たくさんね。氷は、砕いて持ってきて下さい」
ウエイトレスが首を傾げながら去ると、修は草をテーブルの上で千切りはじめた。
「あら、健太くん達、バリでいけないこと覚えてきたな」
「夏乃さん、ちがう、ちがう」
みずみずしい緑の葉を細かく切りながら、修が笑った。
「夏乃さん。何も知らないんですね」
からかおうとした僕の言葉は、少し刺々しくなった。
「葉っぱをよく見て下さいよ。だいいち、僕らは、そんな誰でもやりそうなことはしませんよ。海外に出たからって、すぐに、日本でできないことに飛びつくなんて!」
「あれ、健太、レギアンで12歳の売春婦見て、よだれ流してたのは、お前じゃなかったっけ?」
「あのなあ、修、止してくんない、そんな変な冗談。高坂さんが誤解するだろ! でも、よく見つけたね、ミントなんか?」
「茂原でさ、高速に乗る前にイチゴでも買おうと思ったらさ、野菜の直売場に並んでたんだよ。千葉には、こんなもん栽培するアホウがいるのかなと驚いたね」
「いや、きっと、茂原の工業団地で働くイラン人のために売ってる、ってのが俺の説。あの人たち、ミント・ティー飲むからさ」
と正行が言った。
修はグラスにミントの葉を入れ、フォークの柄で丁寧に潰した。そこに、ウエイトレスが持ってきた氷と砂糖をふんだんに入れ、上からジンを注ぐとよくかき混ぜた。クラッシュト・アイスが溶けだして、ミントの香気がわき上がった。
「はい、《モヒート》の一丁上がり」
修は、夏乃に勧めた。
「あ、おいしい!」
「でしょ」
夏乃が喜んだので、修も満足したようだ。即席のバーテンダーはグラスを人数分並べ、他の仲間達の分も作り始めた。




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