■完璧な時代13

 

 芝居の一幕が終わったと判断したのだろう。男達はまたやって来はじめて、夏乃に挨拶をしだした 
僕は急に一人になったような気がして、《モヒート》に救われた。この甘いミントのカクテルを、いったい何杯飲んだのだろうか。修のミントは使い尽くし、グラスの中に葉を残して、そこにただジンを注いで飲んだ。同じテーブルにつく仲間達の笑い声が、遠くから聞こえてくるように感じた。
「夏乃さんに、また、別の男が挨拶に来てらあ」
自分でそう言ったのか、誰か他の人間が言ったのか分からなかった。
「ホテルの部屋は、どうしよう、・・・?」
その声も、どこか遠くからしたように聞こえた。
会長の長崎が何か怒鳴ったような気がした。それを合図に皆が動き始めた。僕も立ち上がろうとして、よろめいた。テーブルの端に脚をぶつけて、空になったジンのボトルが倒れた。

 









 

 そのあと《紳士会》の仲間達ともう一軒飲みに行ったかどうか、僕は覚えていなかった。うすぼんやりと記憶に残っているのは、銀座の交番の前の電柱に学生が登って、《とんがり帽子》を振り回していることだった。しかし、それが日比谷公園に行く前か後か、どちらか、はっきりしなかった。
「愛してます。愛してます。明日は、ぜったいに勝つぞ!」
と学生服を着た男は叫んでいたような気がした。
とにかく、僕は公園まで歩いたようだ。
この秋の、この夜のことは記憶にないのだが、いつもの年と同じように、噴水のまわりには、多くの学生達が銀座中から集まって来ていたはずだ。《映画紳士会》も、その輪の中に場所を占め、肩を組んで応援歌を歌う。そして、長崎会長が指揮を執って、「フレー、フレー、《シンシカイ》」と声を上げると、仲間達も二度短く唱和する。大きな拍手が続くわけだが、新人の臆病な者はもうこの時から逃げはじめる。噴水の「池」の中に、一年生は投げ込まれるからだ。
僕の頭に残る次の記憶は、「バシャン」という水音だった。そして、冬の海のような冷たさと、水草の泥くさい臭いがそれに続いた。
(ここは、どこなんだ?)
という事を、まず最初に僕は考えた。
「コスギ、コスギ、コスギ、コスギ」
と名前が連呼されるたを、水の中で思い出していた。
(ここは、ウルワツなのか?)
噴水に飛び込む前の僕は、バリ島で大波に乗るのだと錯覚していた。
「健太、セットの波だ、でかいぞ!」
酔った学生達の声が、そう聞こえた。
テイク・オフ! 失敗!
そして自分はウルの岩場で波に揉まれているのだと、枯れ葉が腐り始めた噴水の水の中で僕は思った。
(ヘルメットをしていて良かった。底に叩きつけられても、死なずに済む)
僕の記憶は、ここで途切れた。



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