■完璧な時代4

 家に帰ってシャワーを浴びたいという美樹は、兄から車の鍵を受け取ると一人高円寺に戻った。サーフ・ボードと荷物は正行のガール・フレンドに頼んで、準一の代官山の自宅まで運んでもらった。修は、する必要もないのに、明け方に千葉・太東岬のサーフ・ショップに電話をかけ、波が良くなってきていると聞いて地団駄を踏んだ。

  「いいか、あいつらと、俺たちが一番ちがうのは、飲み屋でなんだ。俺がビックリしたのは、あの学校の映画サークルの連中と、学映連の会合の後に飲んだら、先輩が後輩にむかって言うんだ。『いいか、金の無駄だから、おつまみは頼むな。おつまみを頼むくらいなら、酒を頼め』ってな。俺たちは、逆だろ。俺たちは、とにかくメニューに載っているものが一通りテーブルに並ばないと納得しない。自分たちが、金を持っていようが、いまいがだ」

 酔っぱらった先輩が僕らに説明したが、まさしくそれは真実で、僕らは金も無いのに贅沢だった。惜しげなく金を使うことが、一つの美徳であり、《ケチ》というのは犯罪だった。そんな時代だった。

 空が白んでくると、僕らはタクシーに分乗して、神宮球場へやって来た。近所の住人が通報したのだろうか、パトカーの赤いライトが点滅し、路上には警官が数人立っていた。

 暴れている学生はもういなかったが、酔っぱらった両校の学生がふらりふらりと当てもなく、球場の周囲を歩いていた。

 三塁側のスタンド下では、新聞紙を敷き詰めて、場所取りの一年生が雑魚寝をしていた。元気の良い者は、一升瓶を抱え、紙コップについだ酒をまだ飲んでいた。テントや寝袋持参の用意の良いサークルもあったが、《紳士会》にあるのは、毛布ぐらいだった。女の子たち優先で毛布を敷いてあげると、空いたスペースに僕らも横になった。開門までは、まだ数時間あった。

 店が開く時間になると、加藤先輩が僕のところにやって来て、無造作に数枚の紙幣を差し出した。

 「高坂の娘に、焼酎飲ませる訳にはいかないだろ。これで、なんか、買ってこいよ」

 「あ、ありがとうございます」

 これが、僕らの流儀だった。僕らの学校のやり方だった。そして、こんな加藤さんはやっぱり僕らの先輩だった。

 










 地下鉄外苑前の駅のそばに、酒屋が一軒あるのを僕はよく知っていた。国鉄信濃町駅から神宮に行くのを、父はなぜか好まず、いつも、外苑前を使った。ここの酒屋で缶ビールを買い、秩父宮ラグビー場の前を通って、神宮のネット裏に向かった。父も子供の時から神宮球場を知っていた。学生野球がプロ野球より人気があった頃からだ。金を払わず忍び込んだ話をよくしてくれた。

 退屈だが眠れないという正行が酒屋につき合ってくれ、僕は夏乃が好きな《ワイルド・ターキー》を選んだ。

 「いいのか、バーボンなんて野蛮な飲み物で? 来るの教授の娘なんだろ。昔パリに住んでたってゆうんなら、サンテミリオンのほうが良くないか?」

 「いいんだよ。夏乃先輩は、そんな気どった人じゃないから。それに、野球観戦に、やっぱりワインは似合わないよ」

 正行と僕が秩父宮の前を通りかかったときだった。脇のボーリング場のレストランから、一人の背の高い女の子が現れ、僕にむかって手を振った。

 「ねえ、あの人?」

 正行がささやいた。

 「ちがうよ」

 女の子がこちらに近づいてきた。

 「ゴメンね、小杉君。せっかく誘っていただいたのに」

 「いいんだよ。気にしないで」

 「あ、そんなに余裕があるところを見ると、素敵な人を誘ったな?」

 「まあね。珠美ちゃんこそ、こんなところで何してるの?」

 「彼が、午後から試合なの。悪いけど、急いでいるから、これで失礼しなきゃ」

 珠美はパンプスの音をカツカツとさせながら、大股で秩父宮の中に消えた。




previous    home    next

 



 

inserted by FC2 system