■10

いったい何が言いたかったんだ。
私はジュヌビエブの言葉が気になった。
夕食のときにハンスにたずねてみたのだが、彼が金を渡したのではなかった。
「制服姿のジュヌビエブはとても可愛いだろうと、ワタクシは思います。もったいないことをしました」
とハンスは淫らに笑った。
「でも、別れたんでしょう?」
「ノー、ノー、ノー。そんなこと、ワタクシにできるわけありません。あの美しい娘は、黒真珠 のように輝く肌をしています」
「ジュヌビエブは、今夜も踊るんだろうか?」
「それは、わかりません。・・・。でも、それを考えてしまうのも無理はありません」
翌朝は、早く目が覚めてしまった。
目が覚めると、今、どこで、ジュヌビエブが何をしているのか想像しないわけにはいかなかった。
波の音のあいまに、鳥がさえずりはじめた。空も明るくなってきた。
「タロウ、起きてクダサイ! タロウ、起きてクダサイ!」
木の戸が激しくたたかれた。ハンスの声だ。
「どうしたの?」
私は、服を着て外に出た。
「こんなに朝早く起こして、ゴメンナサイ」
「起きてたから、いいんだ」
「これを、見て下さい」
ハンスは新聞を広げた。
一日遅れの「ダカール・マタン」には、血だらけの死体の写真が紙面一面に掲載されていた。ジゲンショーの軍人の私邸を、反政府軍が襲撃したらしい。一家五人すべてが、機関銃で肉を引きちぎられ、横になっていた。軍人とその妻のほかに、子供二人と老婆がいた。中学生ぐらいの少女は、父親の体に隠れるように倒れていた。
現場では、金や宝石だけではなく、電化製品や服もきれいに盗まれていたと新聞は報じていた。特に、女物の服は、一着残らず奪っていったという。一味はギニア・ビサウにむかって逃げたのだろう、と記者は推測する。
「この子の制服デス! この子の制服デス!」
少女の死体をゆびさしながら、ハンスが叫んだ。
「馬鹿な!」
私は、かけだしていた。
ハンスも、かけてきた。
私たちの騒ぎに、寝間着のまま女主人が出てきた。
宿(オーベルジュ)のゲートは、閉まっていた。門番役は、宿の息子だった。
「開けろ!」
「ノン、ムッシュー。今日は、外出禁止令(クーブル・フ)だよ」
私は鉄柵にしがみついて、乗りこえた。
「ダメだよ、ムッシュー! 兵隊に捕まっちゃうよ!」
私は走った。
(ジュヌビエブ、家にいろよ!)
サッカー場のほうから、銃声が聞こえてきた。
灌木の丘を、私たちは走りぬけた。
エンジンの音が近づいた。私たちは身を伏せる。装甲車が通りすぎるのが見えた。
「タロウ! 国道 はまずいです!」
駐屯地から来た軍隊が村の要所をかためていた。
「浜へ下りよう」
「海岸は、兵士が巡回していると思います」
「どうする?」
「まかせて。ワタクシについてきて下さい」
総合リゾートの敷地に通じる抜け道を、ハンスは知りつくしていた。
「あの少女たちが、仕事で忍び込むときに使うのです。ワタクシもつい詳しくなってしまいました」
シーズンが終わった今、施設は閉鎖されていた。
数人の警備員だけが見回りをしていた。
かれらの目につかぬよう、私たちは建物の陰から陰に走った。
べつの抜け道が、ディスコテークに通じていた。娼婦たちの通い道だ。
ディスコテークの前の舗装道路には、軍用ジープが止まっていた。機関銃をかまえた兵士たちが見張りをしていた。
ジュヌビエブの家は、めとはなのさきだ。
「どうしても、ここでは、見られてしまいますネ」
「レッツ・ゴー・フォ・イット」
草むらにうつぶせになって、私はチャンスをうかがう。
「今だ!」
二人は、全力で疾走した。
気づいた兵士がふりむいた。
「止まれ(アレッテ)!」
銃声が轟 いた。
私たちは走る。
兵士は、空にむかって、ふたたび発砲した。
私はジュヌビエブの小屋の中に飛びこんだ。ハンスもつづいた。
すうっと血がひいて、背骨のへんがキュッと硬くなるのを私は感じた。
(お前は、馬鹿だよ、ジュヌビエブ、・・・)
ハンスのクシャクシャの顔から、涙が湧き出てきた。
それを見たら、私もたまらなくなった。
追いついた兵士たちが、泣きじゃくる男二人を捕まえた。
部屋はからっぽだった。
すべてのものが運び出され、何もなかった。
ただ、ハンスの自転車だけが、投げ捨てられたように倒れていた。









待っていた波は、けっきょくやってこなかった。
ハンスとともに軟禁された私は、軍人たちにサーフィンを教えた。かれらは仕事を離れれば気のいい連中で、レッスンをとても喜んでくれた。
反乱軍は捕まり、処刑された。
ジュヌビエブのその後のことは、わからない。
金が尽きて、私は日本に戻った。またアルバイトで英語を教えている。
片貝漁港は、天気良好だった。春一番の南風が、大波をはこんできてくれた。
風呂に入っていると、ムーンから電話がかかってきた。
「いい波がたっているから、スマトラに来ない?」

<了>

 

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