■7


西アフリカでサッカーより重要な物を考えるのは、難しい。
たぶん、アラーの神と、戦争ぐらいだろう。
テレビでの、サッカー中継は見逃せない。女主人は庭にテレビを出すことを許し、大人も子供もそのまわりに輪をつくる。
とうぜん、暇さえあれば、彼らはサッカーをする。芝のグラウンドだってある。砂浜だって即席のピッチだ。
今日は、そんな村のサッカーの試合だった。
宿屋通りのチームと、漁師のチームが対戦した。
宿屋の息子たちはスパイクを履き、そろいのユニフォームで、本格的だ。漁師たちはシャツを脱いで、裸がユニフォームだ。
双方とも、組織プレーもへったくれもない。抜く、蹴る、奪う。単純なサッカーで、全員熱くなる。
試合は、宿屋チームが辛勝した。
勝利のあとは、酒盛りだ。
私も呼ばれて、椰子ワインでこころよく酔った。
選手たちも革のスパイクを大切にしまうと、酔った。
村中の家で、なにがしかの宴がはられているにちがいない。男たちが、入れかわり立ちかわりやって来ては酒を飲んでいく。
サッカーは、祭りなのだ。
気持ちよくベッドに入って寝ていると、深夜のノックの音で起こされた。
昼間ディフェンダーをつとめた、この宿の息子だった。
「ごめんなさい、ムッシュー」
「どうしたんだい、こんなに遅くに?」
「お願いがあるんだけど」
少年の息に、椰子ワインがにおった。
「言ってごらん?」
「・・・」
少年はうつむいた。
そして、後ろを振り返った。
その視線の先の薄暗がりに、少女がひとり立っているのが見えた。
「彼女が、聖心 の、・・・」
「シィ!」
少年が唇に指を立てた。
「静かに。ママンが起きるよ」
「ごめん」
「だから、ムッシュー、あれを分けてくれない?」
私は薬品袋の中から「プリザーバティフ」をとりだして、少年に渡した。
「ひとつで足りるか?」
「うん、ムッシュー」
宿の息子は少女の手を引いて、空き部屋のひとつに入った。









しばらくして、ふたたびノックの音がした。
やっぱりひとつでは足りなかったかとドアを開けると、そこに立っていたのは少年ではなく、アナベルだった。
彼女の着ているトレーナーは引き裂かれ、布製の蚊よけのパンツは泥だらけになっていた。
ここにこうしているのが精いっぱいという感じで、彼女は黙って立っていた。
私も、何を言っていいか分からなかった。
「シャワーを貸して下さらない」
やっとの思いで、彼女が声をしぼりだした。
部屋の中に招きいれようと、私はその背に手をかけようとした。と、それを見たアナベルは体を硬直させた。
うろたえた私は、明かりのスイッチに手を伸ばした。
「お願い」
彼女がそれを制した。
そして、ふらりふらりと揺れながら、闇の中でバス・ルームをさがした。
「バス・ルーム」と言っても、それは部屋の一角を壁でしきったコーナーにすぎない。ドアもなければ、カーテンすらもなかった。
彼女が服を脱ぎ、トイレットのふたの上に置く音。錆びついた栓をひねる鈍い音。
シャワーの口からほとばしる水が石床をたたく音。
やがて、その音に、アナベルがすすり泣く声が混じった。
栓が全開にひらかれる音がして、水の音が激しくなった。古く細いパイプが、ガクンガクンと痙攣した。
「冷たくはないかい? 熱い湯は、ないんだ」
「いいの。冷たいほうが、・・・」
水の音が止んで、石鹸を肌にこすりつける音がした。執拗な音だ。
それまで気づかなかった地虫の鳴き声が、耳に入ってきた。体に泡をたてるヌメった音は、しばらく続いた。
もう一度、栓を開く音がした。
激しい水音はときどき音色をかえた。そのとき、アナベルの手がどこかを丹念に洗うからなのだろう。
シャワーの栓が閉じられ、木綿の布が肌をぬぐう音がした。
ふうっと長くついた息のあとで、全ての音が止まった。
アナベルが暗がりの中に現れた。
彼女は私のタオルを体にまいていた。タオルからあふれた肌が、ホタルの光のように青白く浮かんだ。
「空いているほうのベッドを、お借りしてもいいかしら?」
「もちろんさ」
私がカバーを取りのぞいてやると、アナベルはシーツのあいだにタオルのまま横になった。
ベッドの中で丸くなると、彼女はもう動かなかった。
蚊帳のすそを持ちあげて私が中に戻ろうとしたとき、クロロキーネの箱が目にとまった。マラリアのための薬だ。
蚊帳の中に入るようにと彼女に勧めるべきか私は迷った。が、彼女の気持ちを思うとそうは言えなかった。
明け方ちかくになっても、頭はさえたままだった。
やっとウトウトしかけたころ、アナベルが私のベッドに入ってきてホッとした。
「眠れないの」
彼女は私の背中に顔をふせた。冷たい滴が私の肌に落ちて、流れた。
女の白く細い腕が前にまわってきて、私を抱きしめた。
「サッカーの試合は、宿(オーベルジュ)のチームの勝ち。あたしたちの部落の負け」
「ここじゃ、大騒ぎだった。僕もすこし飲んだ」
「私も飲んだ」
「・・・」
「イシマエルや、他の男たちは、怒り狂うように飲んでた。負けたから」
「・・・」
「海を見に行かない?」
「え?」
「そう誘いだされたの」
「・・・」
「海でジンベーを鳴らそうぜって。・・・。男たちが七、八人ついてきた」
八人もか、・・・。
私の胸の底が、しまりあがった。
「森の道をぬけるとき、海がごうと鳴ったわ。風かしらと思ったら、月がオレンジ色だった」
「・・・」
「波が大きかった」
(そんなわけはないよ、アナベル。波が大きいわけないじゃないか!)
私の目からも涙が出てきた。
「波はものすごく大きかったわ。3メートルの大波が岩に当たって砕けてた」
アナベルの腕は、傷だらけだった。
「お金をあげる。持ってるお金すべてあげる。パスポートも、トラベラーズ・チェックも、みんな、あげる」
私は寝返りをうって、アナベルを見つめた。
「だから、お願い、それだけは、・・・。それだけは、・・・。・・・。そこに大きな波がふってきた」
緑の瞳が遠くを見ていた。
「だいじょうぶかい」
「抱いて下さるわよね」
「だいじょうぶかい、アナベル」
「あなたは、優しいから、抱いて下さるわよね」
彼女の目は、今は、きっちりと私を見つめていた。
「あたしはだいじょうぶ。・・・。でも、あなたは抱いて下さるかしら?」
「ウィ」
「これで、わたしたちは親友ね」
「ウィ」

previous   home   next


inserted by FC2 system