■8


シーズンの終わりがきた。
バカンス客はみな、ヨーロッパへ帰っていった。
スキリング岬は、ひっそりとした漁村に戻った。
アナベルは、あの夜いらい私の部屋から離れようとはしなかった。宿の息子は母親に悪事がばれて、それを私のせいだと思いこんでいた。
イシマエルの姿を見かけることはなかった。旅人の群れを追いかけて、ダカールにでも戻っていったのだろう。
風がめっきり強くなった。
波は、あいかわらず大きくならなかった。
私はアナベルにサーフィンを教えようとした。
大西洋の複雑な海流のせいで、熱帯のわりにセネガルに流れ込む水は冷たかった。だから、練習は長つづきしなかった。
私のウェット・スーツを貸してみたのだが、尻と胸の形がちがいすぎた。
あきらめた彼女は浜で私のライドを見ることが多くなった。
最初は熱心に見つめていた彼女も次第にあきてきて、本に目を落としている時間が長くなった。やがて、読みはじめた小説に夢中になり、食事時も本をはなさなくなった。ベッドのわきの電灯を消す時刻が日に日に遅くなり、早起きがつらくなった。
朝はオフ・ショアの風が吹く。
波がきれいに整うこの時間を逃したくない私は、ひとりで海に出る。
ひとセッションを終えて、私は食堂でコーヒーを飲んでいた。
アナベルはまだベッドの中だった。
冷たくなった手をコーヒーで温めていると、ジュヌビエブが宿(オーベルジュ)の庭に入ってくるのが見えた。白いトップに、体に食い込むショーツという、例の格好だった。
彼女は私の姿に気づくと、スッとやって来て隣りにすわった。
「ボンジュール、ムッシュー」
「ボンジュール。今まで踊ってたのか?」
「ウィ」
「どうだった?」
「さんざん。だれも、踊りになんか来ない」
「だろうな。何か食べるか? 朝飯 はまだなんだろう?」
少女は首を横に振った。
「それよりも、あなたは、ひとりなの?」
「今はね」
私の答えに、少女の目が大きく開いた。
「あの白人女は、出てったの?」
「アナベルのことか? 彼女なら部屋で寝ている」
「なんで、いっしょに食べないの?」
「別に、わけなんかない」
「ムッシュー、あの白人女とは、もう寝たの?」
私はすぐに答えずに、コーヒーをすすった。
「ノン」
「なんで? なんで寝ないの? 男と女がおなじ部屋で暮らしてるのに、寝ないなんてヘンだよ」
「そうか?」
「ヘンだよ。男が、女とずっとやってないなんて。女がきらいなの?」
私は笑った。
ジュヌビエブは笑わなかった。
「ムッシュー、女と寝たくない?」
「・・・」
「ムッシュー、わたしを買わない?」
「ジュヌビエブ、お前はハンスのガールフレンドじゃないか」
「あんな男は、ケチだから別れたよ」









ムーンからの電子メイルが届いていた。
サイバー・カフェに行くからどうかいっしょに来てくれとアナベルに頼まれた。ジゲンショーまで独りでは怖くて行けないと彼女は言った。
とくべつ恐れる必要はないのだが、マシンガンをしょった軍人たちが待つ検問を、いくつか通りぬけて行かねばならない。あんなことがあったあとだ。やはり、女ひとりでブッシュ・タクシーに乗せるわけにはいかなかった。
ムーンからの手紙には、ずいぶん前の日付がついていた。
フランスのオセゴーでいい波がたっているので、そこで波乗りをしているらしい。セネガルで合流するためにロンドン行きの飛行機に乗ったのだが、機内で知り合ったフランス人のサーファーに誘われたのだという。

・・・グリーンランド沖にウィンター・ストームが止まってて、気圧がどんどん下がってってる。知ってた? ウェイブ・インフォがファックスで送ってくる天気図を見るだけで、もう気絶しそう。朝起きて、波を見るたびに、前の日よりデカいの。今日は、10フィート。あしたは、15フィートになるだろうって、ローカルが言ってた。ビーチ・ブレイクがデカくなりすぎたら、スペインまで走って、ムンダカでライドするんだって。そしたら、あたしも、ゼッタイついていく。ついてって、あのレフト・ハンダーにゼッタイ乗るんだ。・・・

ムーンは、このスウェルが尽きるまでオセゴーにいる気だった。そのあとのことは、書いてなかった。
約束をした日から、もう一月がたっていた。
「ねえ、タロウ、コーヒーが飲みたくない? 本当のコーヒー」
コンピューターの詰まった部屋から外に出ると、街のにおいが押しよせてきた。ブーランジェリーには焼きたてのバゲットがつまれ、カフェではギャルソンがきびきびと働いていた。
「シ・ル・ブ・プレ!」
アナベルは椅子にすわるのを待たずに、ギャルソンを呼んだ。
ふたりともカフェオレを飲んだが、うまそうな香りにたえきれず、彼女はクロワッサン、私はクロック・ムッシューを持ってこさせた。
コーヒーの次は、買い物だった。
アナベルは、ヨーロッパ系のスーパーマーケットに私を引っぱっていった。飛びこむように店に入ると、歓びを顔いっぱいに浮かべて歩きまわった。カマンベールとワインを選び、店を出がけにフランスのファッション雑誌も手にとった。
「もう、ダメ」
スーパーを出るなり、アナベルがもらした。
「ホテルに部屋をとって、ワインといっしょに食べましょう」
「ホテル?」
「わたし、疲れた。・・・。いいの、心配しないで。クレジット・カードがあるから」
町で最高のホテルの居心地は、悪くなかった。
アナベルはさっそくバスにつかり、私は衛星放送のカナル・プリュスを見た。
バス・ローブに身をつつんで出てくると、アナベルはソファーに体を投げ出した。買ったばかりの雑誌のページをめくり、ルーム・サービスへ電話をかけた。
食事はしばらくして運ばれてきて、彼女はバルコニーに準備するようボーイに命じた。
三階の部屋のバルコニーからは、町の雑踏が手にとるように見えた。視界をさえぎる建物がないので、遠く緑の森に消えていくカサマンス河の流れも望めた。
昼食をすまし、ワインとチーズの味をみていたときだった。
「いま、あの男を、見かけたわ」
とアナベルがつぶやいた。
「イシマエルか?」
「白人の女の人と歩いてた。たぶん、別の旅行者ね」
「どこだ?!」
通りには、人があふれていた。さまざまな色の混雑の中で、白いシャツの群れが目をひいた。学校帰りの生徒たちの制服だった。
「もう、見えないわ。・・・。いいのよ、もう」
「だけど、・・・」
「わたしが悪かったんだから」
「君が悪いわけない」
「最初から、お金を渡せば良かったのよ。友達になろうなんて思ったのが、そもそもの間違いだった」
「・・・」
「いいのよ。ヨーロッパ人がこれまでアフリカにしてきたことを思えば、あれくらい」
その夜だった。
アナベルはベッドの中で、自分はもうローザンヌに戻ると言った。
「夢は、みておくだけにすれば良かった」
照明も、テレビも、電源のはいる物はすべてスイッチを入れていたので、部屋の中は明るかった。
冷房はききすぎていて、寒いほどだった。
アナベルは、シーツにくるまってファッション雑誌を見ていた。
「やはり、だめね。白人女がひとりでアフリカに住むなんてできないわ」
となりで横になっていた私は、それをのぞきこんだ。
開かれたページには、日焼けした裸の女がラグーンを背景に横たわっていた。日焼けクリームの広告だった。
「現実っていうのは、あまり美しくないのね」
「タヒチだ」
「すごい。見てすぐにわかるの?」
「ノン。わきで、木に揺れているタオルが、ゴーギャンの絵だろ。だからわかった」
「行ったことがあるの?」
私は、うなずいた。
「すごい波がたつところがある。そこで、去年サーファーが死んだ」
「タロウ」
アナベルは雑誌に目をおとしたまま言った。
「タロウ、お願いがあるの」
「ハッピーでなければ、生きていることにならない」
「え?」
とまどって、彼女は顔をあげた
「あるサーファーが僕に言った」
「タヒチで死んだサーファー?」
「ノン」
「そのサーファーは、まだ生きているの?」
「ウィ。カリフォルニアでウェット・スーツを洗う洗剤を売ってる」
「そのひとは、ハッピーなのかしら?」
「僕にはわからない」
「でも、死んではいないのね」
「何を言おうとしたんだい?」
「いっしょにスイスに来てくれって頼もうとしたけど、やめたわ」
「・・・。いっしょにタヒチに来てくれ、と言うのかと思った」

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