■完璧な時代2
東関東自動車道は、千葉北まで、混雑はありえない。赤いテール・ライトだけが闇に流れていく中を、ケイジュンは車を走らせた。速度計はかなりの速さを示していたが、体はそれを感じなかった。ケイジュンも安全運転をしていると、信じ込んでいるはずだ。
「ねえ、バリで、浮気しなかった?」
一瞬だけバック・ミラーの中で、僕と目を合わせると、彼女は言った。
「サーフィンと撮影で忙しかったんだ。そんな暇ないよ」
「うそ! 健太くんの嘘つき。二ヶ月以上も、彼女をほったらかしにしておいたんだよ。浮気してないわけないよね。しかも、バリで、・・・」
僕は嘘がうまくなかった。
「あ、黙った。黙ったってことは、ホントなんだ!」
「ちがうよ」
「うそ、うそ! もう信じない! 明日、あたし試合見に行かないからね!」
ミラーに映ったケイジュンは美しかった。美人で有名な慶尚南道出身の父親の血をひいているのだ。それも当然だった。そして、僕らの塾の生徒にとって、《神宮のスタンドに彼女と一緒にいること》がいかに大切なのか、少しも理解してそうになかった。彼女は家政学院に通っているのだから、それもまた当然だった。
「前から、健太くんに聞きたいなって、思ってたんだけど、あなた、どんなつもりであたしとつき合ってるの?」
「まじめに、さ」
「まじめって、結婚したいっていう意味?」
「いやあ、まだ、大学二年なんだよ。そういうことは、・・・」
「将来は、どうするつもり? サラリーマン?」
「どうかなあ」
「この車のガソリン代、月にいくらかかるかご存じ?」
「え?」
「健太くん、あなた文学部でしょ、文系出身のたかがしれた給料じゃ、この車のガソリン代にもならないわ」
これで終わりだった。僕は、こうやって、大切な日に同伴する女の子を失った。
今頃、《映画紳士会》の一年生は、神宮の三塁側で場所取りに並んでいるはずだった。上級生は中目黒の《大樽》で閉店まで飲み、渋谷に移動して夜明かしをすることになっていた。
ケイジュンは「ワタシは親切過ぎる」と言いながら中目黒まで送ってくれた。そして、仲間が見ている前で、サーフ・ボードを路上に引きずり出した。
「ああ、そんなに乱暴に扱うと、ヒビが入るよ!」
準一はあわてたが、手遅れだった。
「じゃあね、健太くん、永久にサヨナラ!」
ケイジュンの白いメルセデスは、飲み屋の立ち並ぶ通りを、歩行者など存在しないかのように走り去っていった。
「すげえ走り方! あれじゃ、ひと轢くぜ」
器用に縦列駐車を済ませた加藤先輩が、僕の所に寄ってきた。
「まあ、ケイジュンちゃんが怒るのも無理ないよな」
「どうして、加藤さん?」
「だって、お前がバリで何やってたか、美樹が逐一報告してたんだもんな」
「ウソ! でも、妹さん、ケイジュンの連絡先なんか知ってたかな?」
「いや、だからさ、妹が俺に電話するでしょ。で、そして、俺がケイジュンちゃんに報告するわけ」
「ひっでー。加藤さんだったの、密告者は!」
「いやあ、社会人になるとさ、悪いことばっかりおぼえちゃって。暇がないからさ、暇のある奴に嫉妬するんだよね。試合の後、学生が街で暴れるのを、ホテルの部屋の窓からガール・フレンドと一緒に見下ろそうなんて考えている奴には、特に」
「加藤さんには、話すんじゃなかった」
「いやあ、何ヶ月も前からホテル予約して、ご苦労様でした。心配しなくていいよ。一緒に泊まるコが見つからなかったら、俺が泊まってあげるから」